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子育て科学アクシスブログ


レミゼと大岡越前と

皆様こんにちは。成田です。

 
先日、娘と「大岡越前」見てました。

知ってます?東山紀之さんが大岡越前をされてて、この上なくカッコいいのですよ♪

 
まあ、それはさておき、その日のお話は、小石川養生所にお米を寄付する米問屋の旦那(神田正輝さん)が主人公。

たまたま養生所を出ていくごろつきの男が、出会い頭に神田さんの顔を見てハッとする。

そしてちょうどその時、人夫の引いてた大八車が道の窪みに落ち込んで身動きが取れなくなってしまうのです。

大の男が何人も集まって押したり引いたりしてもびくともしない大八車。

そこに、羽織を脱いだ神田さんがおもむろに登場し、たった一人で軽々と大八車を持ち上げてしまう。

それを目撃して確信を得たかのようなごろつきは、いずこともなく姿を消すのですが、翌朝、哀れ土左衛門となり見つかるのです。

事件を調べる南町奉行所の捜査官は、手配書の束の中から、米問屋の神田さんにそっくりの人相書きを発見します。

でも、その男はもう数年前に八丈島に流され、そこで病死したと記録されていたのでした……

 
大八車を持ち上げる神田さん、見た瞬間に私たち母子は顔を見合せ「ジャン・バルジャン!!」と叫んでました。

はい、このお話、どこからどう見てもレ・ミゼラブルそのものなんです!!

ネタバレになるのでこのあとの展開の詳述は控えますが、ちゃんとコゼットも出てくるし、最後もレミゼを彷彿とさせるし、凄い!としか言いようなく私らは興奮のるつぼですわ(笑)。

 
いやあ、「大岡政談」に記載されてることがもちろん全部本当に大岡忠相さんの偉業でなく、中国の逸話や他の町奉行の裁き(例えば有名な、め組の喧嘩の裁きで鐘を島流しにしたって言うのはそもそも11代家斉の時代の話で、吉宗公時代の大岡さんのはずがない!)であることくらい 、当然知っとりました。

ですがですが、なんとフランスの文学作品まで取り入れて創作されてたとは…驚きです。

確かに、ビクトル・ユーゴー1802ー1885、おお、大岡政談が書かれた時代にかぶってるし(江戸時代の間に何度も書き換えられ、書き加えられていったそうですよ)!

ジャン・バルジャンの業績まで取り込む大岡越前人気ってすごい。今で言うところのSMAPくらいの国民的アイドルだったのかも?

 
……などと妄想は膨らみましたが、調べてみれば、レ・ミゼラブルが出版されたのが1862年だそうで、ちょっとそれが大岡政談に取り込まれるには時間的余裕がないようで…まあ、レミゼ好きの現代脚本家の方がインスパイアされて作られたのでしょうね。

とにかく、レミゼファンで大岡越前ファンの母子としては、一粒で二度美味しい!!大興奮できて、とっても素敵な1時間でした。

 
成田奈緒子