風は北向き、の思い込み
2014.12.01
こんにちは。成田です。
先日の上岡ブログ(11月29日)にあったとおり、最近アクシスでは映画や本の解釈について議論するのが流行ってます。
あーでもない、こーでもないとそれぞれの人生経験を踏まえた解釈が飛び交うのですが、本当はそんなにピリピリしたものでもなく、大概は「自分こそ映画通!」を自認する上岡が、成田の探してきた映画を「し、知らない!(汗)」と悔しがったり、国語力のある成田が新たな解釈を加えたのに対し「ううむ・・」とうなるとか、と言った程度で・・・(余裕の笑みby 成田)。
ただ、確かにこういった芸術作品というものは、受け手の脳や心や体の状態いかんで、作り手の思惑とは違った方向にどんどん一人歩きすることもあるし、それがその受け手の人生すら変えることもあるのは同感です。
ということで今日は、成田の人生を変えたとも言える一曲の話を。
私が中学生のときに出会った中島みゆきさんの「親愛なる者へ」というアルバムは、エアロスミスの「Rocks」と共に、私の人生を変えた一枚です。
(高校生のときには、この二枚を交互に大音量で聴きながら大学受験の猛勉強したものです・・・どんな脳みそしてるんや、と友人に突っ込まれてましたが・・)
中でも、みゆきさんの「小石のように(親愛なる者へに収録)」という曲は、今アクシスや外来で私が説いている「思春期の子どもに対応する親の立ち位置、そしてそもそも思春期とは」という理論の根幹を作ってくれた曲なんです。
著作権の問題があると思うので歌詞をそのまま書けないのですが、山から川の流れに乗って海へ向かっていく小石の話。これが16歳の子ども。そしていつも心配している母は、ここぞというときに後ろからそっと背中を押す。くじけそうになった小石はまた流れにのって下っていく。小石は削れて砂になって海に溶け込んで、そしていつかその海は大空へ、あの山へ戻っていく・・・
当時思春期真っただ中の私はこの曲を聞きながら「そう、思春期の親とはこういう立ち位置に存在するべきだよね。子どもは親の手を遠く離れ、そして広い世界へと旅立つ、でも最後は自分の出発点にもどるのよね。深い!」と大きくうなずいていたわけで・・・
もし、今思春期の子どもとどう対峙して良いか悩んでいる親御さんがいたら、ぜひ聴いてみてくださることをお勧めします。
もしくは成田に「小石のようにって・・」と振ってみてください。語ります(笑)。
ところで、当時みゆきさんのオールナイトニッポンを欠かさず早起きして(笑)聴いていたのですが、その中である時みゆきさんがこんなようなことを語っておられました。
「私は、自分の曲がどういう意図で書かれたか、ということは一切言わないことにしている。なぜなら、楽曲として世に出した途端にそれがいかに私的な理由で書かれたものであっても、受け手のイマジネーションの中で全く違う解釈をされることが当たり前であるから。」なるほど、と思いました。
でも、みゆきさんは続けて、「でも、一個だけ、みんなが誤解していること、教えてあげるね。「親愛なる者へ」のアルバムの表題曲にもなっている「断崖‐親愛なる者へ‐」という曲に「風は北向き こころの中じゃ 朝も夜中も いつだって吹雪 ♪」という歌詞があるでしょ。みんなこれって北海道の寒ーい寒ーい景色の中で一人立っている人を想像するでしょ。でもねえ、実は北に向かって吹いている風は南風なんだよね~。うししし。気づいてた~?」って言ったのです。
お~~~!!しまった、すっかり北風だと思い込んでたぞ。だからこの曲明るい希望に満ちたメロディなんだ!やられた~と、夜中に興奮していたのを覚えてます。
それ以来、言葉にはいよいよ気を付けて読み込むようにしたので、おかげさまで、大学入試の際の共通一次試験の国語はとっても良い点が取れました!
成田奈緒子
先日の上岡ブログ(11月29日)にあったとおり、最近アクシスでは映画や本の解釈について議論するのが流行ってます。
あーでもない、こーでもないとそれぞれの人生経験を踏まえた解釈が飛び交うのですが、本当はそんなにピリピリしたものでもなく、大概は「自分こそ映画通!」を自認する上岡が、成田の探してきた映画を「し、知らない!(汗)」と悔しがったり、国語力のある成田が新たな解釈を加えたのに対し「ううむ・・」とうなるとか、と言った程度で・・・(余裕の笑みby 成田)。
ただ、確かにこういった芸術作品というものは、受け手の脳や心や体の状態いかんで、作り手の思惑とは違った方向にどんどん一人歩きすることもあるし、それがその受け手の人生すら変えることもあるのは同感です。
ということで今日は、成田の人生を変えたとも言える一曲の話を。
私が中学生のときに出会った中島みゆきさんの「親愛なる者へ」というアルバムは、エアロスミスの「Rocks」と共に、私の人生を変えた一枚です。
(高校生のときには、この二枚を交互に大音量で聴きながら大学受験の猛勉強したものです・・・どんな脳みそしてるんや、と友人に突っ込まれてましたが・・)
中でも、みゆきさんの「小石のように(親愛なる者へに収録)」という曲は、今アクシスや外来で私が説いている「思春期の子どもに対応する親の立ち位置、そしてそもそも思春期とは」という理論の根幹を作ってくれた曲なんです。
著作権の問題があると思うので歌詞をそのまま書けないのですが、山から川の流れに乗って海へ向かっていく小石の話。これが16歳の子ども。そしていつも心配している母は、ここぞというときに後ろからそっと背中を押す。くじけそうになった小石はまた流れにのって下っていく。小石は削れて砂になって海に溶け込んで、そしていつかその海は大空へ、あの山へ戻っていく・・・
当時思春期真っただ中の私はこの曲を聞きながら「そう、思春期の親とはこういう立ち位置に存在するべきだよね。子どもは親の手を遠く離れ、そして広い世界へと旅立つ、でも最後は自分の出発点にもどるのよね。深い!」と大きくうなずいていたわけで・・・
もし、今思春期の子どもとどう対峙して良いか悩んでいる親御さんがいたら、ぜひ聴いてみてくださることをお勧めします。
もしくは成田に「小石のようにって・・」と振ってみてください。語ります(笑)。
ところで、当時みゆきさんのオールナイトニッポンを欠かさず早起きして(笑)聴いていたのですが、その中である時みゆきさんがこんなようなことを語っておられました。
「私は、自分の曲がどういう意図で書かれたか、ということは一切言わないことにしている。なぜなら、楽曲として世に出した途端にそれがいかに私的な理由で書かれたものであっても、受け手のイマジネーションの中で全く違う解釈をされることが当たり前であるから。」なるほど、と思いました。
でも、みゆきさんは続けて、「でも、一個だけ、みんなが誤解していること、教えてあげるね。「親愛なる者へ」のアルバムの表題曲にもなっている「断崖‐親愛なる者へ‐」という曲に「風は北向き こころの中じゃ 朝も夜中も いつだって吹雪 ♪」という歌詞があるでしょ。みんなこれって北海道の寒ーい寒ーい景色の中で一人立っている人を想像するでしょ。でもねえ、実は北に向かって吹いている風は南風なんだよね~。うししし。気づいてた~?」って言ったのです。
お~~~!!しまった、すっかり北風だと思い込んでたぞ。だからこの曲明るい希望に満ちたメロディなんだ!やられた~と、夜中に興奮していたのを覚えてます。
それ以来、言葉にはいよいよ気を付けて読み込むようにしたので、おかげさまで、大学入試の際の共通一次試験の国語はとっても良い点が取れました!
成田奈緒子