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子育て科学アクシスブログ


家族という幻想

皆さんこんにちは、成田です。

 
ブログでも度々騒いでますが、グザビエ・ドランという若き監督が大好きです。

わずか19才で「マイ マザー」で鮮烈なデビュー、カンヌで絶賛され、次の「私はロランス」以降、カンヌを初めとするコンペティションで次々賞をとって一躍有名になった方です。ものすごく美しい方ですが(男性です)、ゲイであり、そのこと等が原因で家族との確執があったということです。

 
そのため、彼の作品では、常に、家族の間の愛ゆえの憎しみが繊細に描かれているのですが、とにかく映像がきれい、美しい。美し過ぎるがゆえに、観る者の心の奥深くに強い痛みが生じます。たぶん、それはグザビエ・ドラン自身の痛みなのでしょう。

 
その彼の最新作は、カンヌでグランプリを取りました。

「たかが世界の終わり」

死にそうな息子が12年ぶりにそれを伝えに家族のもとに帰る。

だけど家族は、それを察することもできずに、彼の回りで「彼が帰って来たから」起こるいさかいをこれでもかと見せつける。

一人一人は彼を愛してる、でもそれが「みんな」になるとバランスを崩す。

そして彼は。

諦めるしかない不毛な家族の中で、唯一心が通うのは、全くの他人、今日初めて会う義姉という皮肉。

 
最後のシーンがあまりにも痛くて、細い鋭いキリで心臓を突かれた痛みで、しばらく立ち上がれませんでした。感情と切り離されたかのように、機械のように涙が流れました。

たぶん、「家族とは幻想である」というこのメッセージに、私が強く共感してるからです。

 
家庭を居場所として引きこもっている子どもたちが、全くくつろげていない、不安が減っていない表情をしてるのは、そのせいです。

人は、なぜ自立をして他人の中に身を置くのか?

それは、家庭も家族も幻想に過ぎず、本当に必要な時に手を差しのべてくれるなどと甘い期待を持つと、痛い痛いしっぺ返しを食うからです。

 
「たかが世界の終わり」(良い邦題です)と心の中で自分に言い聞かせてるであろう最後のシーンの主人公に、果てしのない悲しみを共有しながらも、「そうだよ、そんなもんだよ。大丈夫、頑張りな。」って思わずエールを送ってしまった私でした。

 
 
成田奈緒子