転校の話
2017.04.28
上岡です。桜が舞う中、仕事帰りなのに何故かすがすがしい顔をして歩いているスーツ姿の人たちを見かけました。
ごらん、あれが新社会人です。
いつのまにやら、環境が変わる人たちが多く現れる季節がやってきてましたね。
4月になって新社会人というミュータントを見かけると、私も自分史上もっとも大きな環境変化がよぎります。
小学4年生から5年生にあがるときに経験した『転校』です。
嫌でしたー。これは。2つ上の兄は小学校から中学校にあがる節目でしたので「なんかずるい」と思ってました。
小学4年生と言えば、面白いこと(小学生レベル)が次から次へと思いつき、あれ以来「才能が枯渇してしまった!」と悩むぐらい、
私の黄金時代でして、クラスと友達ととても楽しくやっていたそんな渦中での転校でした。
将来、「藤子不二雄」のように一緒に漫画家になろうと決めていた友達もいましたし、「ズッコケ3人組」と称した親友もいたし、将来のお嫁さんに決めつけていた女の子もいました。なのに、転校です。
とっても悲しかったので「さようなら会」なんて開催されたら絶対に泣くし、でもみんなの前で泣くのは嫌だったので、
担任の先生に「引越しすることはみんなには内緒にしておいてください」なんて言ったもんです。
偉いもんで、その先生は顧客のプライバシーポリシーを尊重し、本当に内緒にしたまま終業式を迎えました。
学級会の予定を変更して行われる「さようなら会」。
今まで数人の友人を見送ってきた経験があった私は、「いつ、いきなり僕のための『さようなら会』が開かれるのだろうか?」と日々ドキドキしてました。
で、終業式が終わり、クラスに戻っての帰りの会の最後の最後。
先生『春休み楽しく過ごしてくださいね。では日直』日直『起立、礼、さようなら』 一斉に『さようなら』子どもたち『ワイワイガヤガヤ』
のくだりの直前の直前に「上岡君が引越しすることになりました」と先生が発表してくれました。
気分は春休みなのでクラスのどよめきも中途半端感でしたし、私も「泣いてしまうかも」という気持ちはとうに過ぎ、「次の学校で友達をいかにつくるか」に向いていたので、発表後に話かけてくれた友達に「そういうことなんだよ」とクールに反応していたことを覚えてます。
で、本当の転居をする引越し日、近所の公園に集まってくれた友達10名と小1時間遊び、さよならを言った私を乗せた車が走り出すと、ドラマの一場面のようにみんなが手を振りながら追いかけてくれました。その光景を運転席から見ていた父は「いい友達だな」と涙ぐんでましたが、私の心は感傷よりも次の場所での傾向と対策の立案で、クールに手を振っていたのを覚えています。あと「自分の部屋がある家に住める!」という興奮もありました。
その引越しにより、環境は劇的に変わりました。
転居先の5年生のクラスには、私ともう1人(小学生なのにやさぐれた少年)が同時に転入しました。
その2人以外の30数名は全員知らない子たちですし、そして30数名同士は顔見知りあっている。
「女子のほうが良かったなぁ~」と素直かつ残酷な声も聞こえてくる。
あと、男子か全員ドラゴンズファンで、野球に興味が薄かった私は父親が好いてたジャイアンツ帽を普通にかぶってました。
絶対的なアウェイでした。
当然、同じ日に転校してきた『小学生なのにやさぐれた少年』と仲良くなり「(各々の)前の小学校のほうが良かったよな~」などと公園でくだをまいたもんです。学校から帰宅するとすぐ寝てしまっていたあの頃,、小学5年生なりに気を使った生活だったんだと思います。やさぐれた少年と私の密なる関係はしばらく続きましたが、2人だけではキックベースはできません。2人だけのキャプテン翼ごっこはつまらないです。おまけに任天堂ファミリーコンピューターが席巻していた当時、私が持っていたのは少数派の「セガ」で、彼が持っていたのはさらに少数派の「ぴゅう太」で、ソフトの貸し借りもできないし、憧れのファミリーコンピューターもできません。この完結できない関係のおかげで外に仲間を求め出し、3ヵ月後、新しいクラスの友達とも一緒に遊ぶようになっていきました。
それ以降、多くの人に出会っているのですが、いまだに年1ペースで会う関係は、あの5年のクラスで出会った男女6名(やさぐれた少年もいます)というのも面白いもんです。あんなに嫌だって転校ですが、何が起きるかはわかりませんね。あれは私の一世一代の出来事でした。
あれがあったから一世一代の「1人暮らし」や一世一代の「初めて東京に1人で行った」、一世一代の「初アルバイト」「新社会人」「屋久島往復徒歩10時間」につながります。
やってこれたからやっていける気がする。
たった1つのあれをやってこれたから、目の前の1つをやっていける気がする。
5歳の私の「親戚のおじさんに恥ずかしながらも挨拶する」一世一代の行動が、わらしべ長者のように今の一世一代に至ります。
仕事帰りなのに何故か翌日の仕事を立ち向かう気力充満な目をしてる新社会人たちを見て、そんな思いにふけりました。
上岡