ぱんだのおもいで参り
2020.08.07
こんにちは、スタッフのぱんだ(半田)です。
引き続き、コロナ対策用マスクが手放せない夏となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
ぱんだは今年新盆を迎えますが、今年のお盆は実家で久しぶりに親戚一同顔合わせ…も、思うようにいかない方が多いのではないでしょうか。
お陰様で、ぱんだの両親は健在ですが、どちらも大きな病気を乗り越えているので、コロナが蔓延してから直接会うのを控えています。
夏がくれば打ち上げ花火の音があちらこちらで響き渡り、地域の子どもたちが太鼓や笛の音と共にお神輿を担いで家の前を練り歩く…が当たり前の光景でしたが、今年はいつもの夏の風物詩が味わえなくなっています。
夏野菜も高騰して、思わずため息をつくようなニュースばかりが目に付いて、なんだか見えないモヤモヤが身体にも心にもまとわりついているようです。
思うように動けないという錯覚に陥っている自分に気づき、こんな時こそ深呼吸でマインドフルネス!と呼吸に意識を向けていたら…ふと、5~6才の頃に、父方祖母が送り火を焚きながら、ご先祖様をお見送りしている光景が目に浮かび上がってきました。
幼いぱんだに「こうやってな…」と、ゆったりした穏やかな口調で語りかけながら、送り火の準備を整える祖母が手にしていた、あの軽くて手で簡単にポキポキ折ることのできる、ウエハースみたいな割り箸の形状に近いもの…あれって一体なんだったんだろう…ていうか、今までなんで気にならなかったんだろう?と、突然気になってきました。
で、呼吸に意識を向ける…ということもすっかり忘れ去ったぱんだは、ネットを検索してみました。Googleって偉大ですね。たちどころにアレがわかりました。どうやら、「おがら」という麻の皮を剥いだ茎の部分らしく、「芋殻」と書いたり、麻幹(あさがら)とも呼ばれるそうです。お盆の迎え火・送り火だけでなく茅葺き屋根の下地などに使われるとあったので、まず間違いなく「おがら」だと思います。
でも、麻の茎って、なんか私のイメージではポキッて折れる感じがしないんですよね。私の記憶では、祖母は空洞のないウエハースの長いお菓子版のようなものを、軽やかにポキポキ折っていたんです。写真の「おがら」は、1本1本ポキポキ折るというよりも、ハサミで何本かを束ねてジョキジョキ長さを切り揃える感じ。カラッ&ポキッではなく、カサッ&ジョキッという感覚なんですよね。どうも納得いきません。だって、茅葺屋根の下地に使ったら、私のイメージのアレはポキポキ折れていきそうです。
このままじゃ眠れません。納得のいかない私は、母にLINEで確認しました。すると、お盆に焚いたのは「おがら」だったとのこと。そうなんですか?アレは「おがら」でいいんですか?祖母と送り火を焚いた時、母は用事だったのか不在でした。あの時は、確かに祖母と私の二人だけでした。もしかしたら、祖母は母も知らない「おがら」の別バージョン・アレを購入したのではないでしょうか。当時私が住んでいた地域では、きっとスペシャルな「おがら」別バージョンがお盆にだけ売られ、お盆の迎え火・送り火用新商品として、“おがら風”のアレが祖母の目に留まったに違いありません。
当時の昭和レトロな住まいには、こじんまりとした石柱門に観音開きの木戸がついていて、これまた可愛い石段がありました。木製の玄関戸には、不思議の国のアリスが手にしたような鍵を差し込む穴が、真鍮の丸ノブの下にあって、鍵を差し込んで回す祖母の手元を見るたびにワクワクしました。玄関前では気持ちが昂りやすい小1のぱんだは、いつものとおり祖母が鍵を差し込んでいる時に、遊びに来ていた友達に「おばあちゃんは食べる時、コツコツっていう音がするんだよ!ね?おばあちゃん!」と、満面の笑顔で自慢気に言い放ちました。鍵をまわす祖母の手が一瞬止まり、若干の静寂が訪れました。それからしばらくして、母から「そういうことを言ってはいけない」と叱られました。理由がわからないまま、大好きな祖母を嫌な気持ちにさせてしまったらしい悲しさだけが残りました。
ぱんだからは想像できないと思いますが、祖母は小柄で上品で、とても愛らしい人でした。毎朝ご先祖様が眠る墓参りを欠かさず、いつも身なりを整え、やさしくて穏やかで、やわらかな笑顔を絶やさない人でした。ぱんだが物をなくして困っていると、「隠しの神様、隠しの神様、お願いですから、みっちゃんの○○を出してあげてください」と言いながら、一緒に探してくれました。大好きだったピンポンパン(NHK子ども番組)のエンディングの踊りに、お客様の前で恥ずかしがる私を笑顔で誘い、腰をフリフリ踊るお茶目なところがありました。亡くなったら必ずかつらのまま棺に入れて欲しいと、人知れず母に頼むような人でした。だから、私が憧れた入れ歯から奏でるメロディーも、祖母にとっては隠すべき恥ずかしいことだったのかもしれません。
祖母が石段で“おがら風”アレを焚き、足のついた茄子を置きながら「ご先祖様はこれにのって、お空に帰っていかはるんよ」と話してくれました。そういえば…あの頃石柱門の傍にはもみじが植わっていて、大阪の箕面名物・紅葉の天ぷらのように、甘くてサクッと香ばしい紅葉の天ぷらを母が作ってくれました。あの天ぷら、もう一度食べてみたいなあ…。
祖母とのお盆の思い出のように、心をゆったり包み込む深くて穏やかな体験は、大人になった私をあの頃のまま迎え入れ、あの時のように変幻自在に飛び回る自由を与えてくれます。コロナで行動が制限されがちな今だからこそ、日本ならではのお盆の時期を、それぞれのご家庭の方法でご先祖様への思いを馳せ、日常を過ごせることに改めて感謝しながら、ゆったり過ごせるといいですね。ぱんだも、亡くなった義父の様々な作品を一つ一つ丁寧に掃除しながら、義父や義母や先にあちらで過ごす大切な人たちに思いを馳せ、ご先祖様に改めて感謝しつつ過ごそうと思います。
ぱんだ
引き続き、コロナ対策用マスクが手放せない夏となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
ぱんだは今年新盆を迎えますが、今年のお盆は実家で久しぶりに親戚一同顔合わせ…も、思うようにいかない方が多いのではないでしょうか。
お陰様で、ぱんだの両親は健在ですが、どちらも大きな病気を乗り越えているので、コロナが蔓延してから直接会うのを控えています。
夏がくれば打ち上げ花火の音があちらこちらで響き渡り、地域の子どもたちが太鼓や笛の音と共にお神輿を担いで家の前を練り歩く…が当たり前の光景でしたが、今年はいつもの夏の風物詩が味わえなくなっています。
夏野菜も高騰して、思わずため息をつくようなニュースばかりが目に付いて、なんだか見えないモヤモヤが身体にも心にもまとわりついているようです。
思うように動けないという錯覚に陥っている自分に気づき、こんな時こそ深呼吸でマインドフルネス!と呼吸に意識を向けていたら…ふと、5~6才の頃に、父方祖母が送り火を焚きながら、ご先祖様をお見送りしている光景が目に浮かび上がってきました。
幼いぱんだに「こうやってな…」と、ゆったりした穏やかな口調で語りかけながら、送り火の準備を整える祖母が手にしていた、あの軽くて手で簡単にポキポキ折ることのできる、ウエハースみたいな割り箸の形状に近いもの…あれって一体なんだったんだろう…ていうか、今までなんで気にならなかったんだろう?と、突然気になってきました。
で、呼吸に意識を向ける…ということもすっかり忘れ去ったぱんだは、ネットを検索してみました。Googleって偉大ですね。たちどころにアレがわかりました。どうやら、「おがら」という麻の皮を剥いだ茎の部分らしく、「芋殻」と書いたり、麻幹(あさがら)とも呼ばれるそうです。お盆の迎え火・送り火だけでなく茅葺き屋根の下地などに使われるとあったので、まず間違いなく「おがら」だと思います。
でも、麻の茎って、なんか私のイメージではポキッて折れる感じがしないんですよね。私の記憶では、祖母は空洞のないウエハースの長いお菓子版のようなものを、軽やかにポキポキ折っていたんです。写真の「おがら」は、1本1本ポキポキ折るというよりも、ハサミで何本かを束ねてジョキジョキ長さを切り揃える感じ。カラッ&ポキッではなく、カサッ&ジョキッという感覚なんですよね。どうも納得いきません。だって、茅葺屋根の下地に使ったら、私のイメージのアレはポキポキ折れていきそうです。
このままじゃ眠れません。納得のいかない私は、母にLINEで確認しました。すると、お盆に焚いたのは「おがら」だったとのこと。そうなんですか?アレは「おがら」でいいんですか?祖母と送り火を焚いた時、母は用事だったのか不在でした。あの時は、確かに祖母と私の二人だけでした。もしかしたら、祖母は母も知らない「おがら」の別バージョン・アレを購入したのではないでしょうか。当時私が住んでいた地域では、きっとスペシャルな「おがら」別バージョンがお盆にだけ売られ、お盆の迎え火・送り火用新商品として、“おがら風”のアレが祖母の目に留まったに違いありません。
当時の昭和レトロな住まいには、こじんまりとした石柱門に観音開きの木戸がついていて、これまた可愛い石段がありました。木製の玄関戸には、不思議の国のアリスが手にしたような鍵を差し込む穴が、真鍮の丸ノブの下にあって、鍵を差し込んで回す祖母の手元を見るたびにワクワクしました。玄関前では気持ちが昂りやすい小1のぱんだは、いつものとおり祖母が鍵を差し込んでいる時に、遊びに来ていた友達に「おばあちゃんは食べる時、コツコツっていう音がするんだよ!ね?おばあちゃん!」と、満面の笑顔で自慢気に言い放ちました。鍵をまわす祖母の手が一瞬止まり、若干の静寂が訪れました。それからしばらくして、母から「そういうことを言ってはいけない」と叱られました。理由がわからないまま、大好きな祖母を嫌な気持ちにさせてしまったらしい悲しさだけが残りました。
ぱんだからは想像できないと思いますが、祖母は小柄で上品で、とても愛らしい人でした。毎朝ご先祖様が眠る墓参りを欠かさず、いつも身なりを整え、やさしくて穏やかで、やわらかな笑顔を絶やさない人でした。ぱんだが物をなくして困っていると、「隠しの神様、隠しの神様、お願いですから、みっちゃんの○○を出してあげてください」と言いながら、一緒に探してくれました。大好きだったピンポンパン(NHK子ども番組)のエンディングの踊りに、お客様の前で恥ずかしがる私を笑顔で誘い、腰をフリフリ踊るお茶目なところがありました。亡くなったら必ずかつらのまま棺に入れて欲しいと、人知れず母に頼むような人でした。だから、私が憧れた入れ歯から奏でるメロディーも、祖母にとっては隠すべき恥ずかしいことだったのかもしれません。
祖母が石段で“おがら風”アレを焚き、足のついた茄子を置きながら「ご先祖様はこれにのって、お空に帰っていかはるんよ」と話してくれました。そういえば…あの頃石柱門の傍にはもみじが植わっていて、大阪の箕面名物・紅葉の天ぷらのように、甘くてサクッと香ばしい紅葉の天ぷらを母が作ってくれました。あの天ぷら、もう一度食べてみたいなあ…。
祖母とのお盆の思い出のように、心をゆったり包み込む深くて穏やかな体験は、大人になった私をあの頃のまま迎え入れ、あの時のように変幻自在に飛び回る自由を与えてくれます。コロナで行動が制限されがちな今だからこそ、日本ならではのお盆の時期を、それぞれのご家庭の方法でご先祖様への思いを馳せ、日常を過ごせることに改めて感謝しながら、ゆったり過ごせるといいですね。ぱんだも、亡くなった義父の様々な作品を一つ一つ丁寧に掃除しながら、義父や義母や先にあちらで過ごす大切な人たちに思いを馳せ、ご先祖様に改めて感謝しつつ過ごそうと思います。
ぱんだ