失くす私
2021.07.15
皆さんこんにちは、成田です。
先日、私と全く同年齢のお友達と話をしてて、彼女が放った一言に衝撃を受けました。「私・・人生で失くした傘って2本。一本は水色の水玉で、もう一本は赤だったかな。悲しかったなあ。」
1年半使ってたお気に入りの晴雨兼用傘をついに失くした話、「1年半も持ったの初めてで、2-3回危ういところを救って使い続けてきた傘だから、悔しくてさあ・・」ってのを私が話したところでした。
・・え?2本?同じだけ生きてて2本て?
私は・・・少なく見積もっても50本以上だなあ。100本かもしれない。
愕然としましたね。これだけでも人生全く違うのだな、と。人生の傘コスト、50倍って(笑)。
昔からなんでも失くす子どもでした。
傘はもちろん、教科書・ノート・文房具など毎日のように持ち物がなくなっていました。
そのたびに母にこっぴどく叱られていましたが、治りませんでした。
小3の時転校して山の上に住みました。学校は急斜面を降りたふもとです。
朝は徒歩でしたが、帰りはバス通学が認められていましたので、毎朝回数券一枚を母にもらってバスで帰ってました。友達いないので、いつも一人でした。
ある日、バス停まで回数券を握りしめて歩いていたはずなのに、バス停についてみたら手の中に何もない!ということがありました。
ものすごくパニックになって私は来た道を探して歩きましたが、何も落ちてない。どうしよう。おうちに帰れない。泣きそうになった私は、バス停横にあった駄菓子屋に恐る恐る入っていきました。
東北から関西へ転校したばかりでまだ言葉もしゃべれない中、必死で状況を涙目で訴えました。駄菓子屋のおばちゃんはちゃんと聞いてくれて、「それは大変やねえ、ちょっと待ってて」と言って、小銭を渡してくれました。「これでバス乗って帰り。また明日にでもバス代返してくれたらいいから。」
私が心の底から感動してうれしい思いになったのは言うまでもありません。あまりしゃべれない子だったので、ちゃんとお礼を言えたのかどうか定かではないけど、とにかく心の底からウキウキわくわくしてバスで無事に家につき、母に事の経緯をたぶん喜び勇んで話しました。あまり笑わない子でしたが、そのときは興奮して笑顔だったかもしれません。
でも信じられないことに、返ってきたのは母の怒鳴り声でした。
「なんでそんなことしたの!恥ずかしい。人にお金を借りるなんて、しかも知らない人に!毎朝山を下って学校に行ってるんだから、バスの回数券自分のせいで失くしたなら、その道を上ってくればいいだけでしょ!」
はっ!
としたのは確かです。そんなこと、思いつきもしなかったのが小3の私の頭です。朝は徒歩、帰りはバスと思い込んでいたので、帰りの徒歩、は本当に全く思いつきませんでした。
でも・・・・・
今、アクシスで「子どもに正論伝えすぎないで」と強く訴える私の原点がここにあるのだなあ、と気づきました。
ずっと忘れてた記憶が「人生で失くした傘2本」の話を聴いてからずるずる鎖で引っ張られるように思い出されました。
そして今の私はその時もらえなかった言葉を昔の私にあげます。
偉かったね。勇気を出して言葉をかけたおかげでいい人に出会えて本当に良かったね。
バス代貸してくれたおばちゃんに感謝して、明日一緒にバス代返しがてらお礼に行こうね。
何をお礼にもっていく?パン焼いて持っていこうか。
成田 奈緒子
先日、私と全く同年齢のお友達と話をしてて、彼女が放った一言に衝撃を受けました。「私・・人生で失くした傘って2本。一本は水色の水玉で、もう一本は赤だったかな。悲しかったなあ。」
1年半使ってたお気に入りの晴雨兼用傘をついに失くした話、「1年半も持ったの初めてで、2-3回危ういところを救って使い続けてきた傘だから、悔しくてさあ・・」ってのを私が話したところでした。
・・え?2本?同じだけ生きてて2本て?
私は・・・少なく見積もっても50本以上だなあ。100本かもしれない。
愕然としましたね。これだけでも人生全く違うのだな、と。人生の傘コスト、50倍って(笑)。
昔からなんでも失くす子どもでした。
傘はもちろん、教科書・ノート・文房具など毎日のように持ち物がなくなっていました。
そのたびに母にこっぴどく叱られていましたが、治りませんでした。
小3の時転校して山の上に住みました。学校は急斜面を降りたふもとです。
朝は徒歩でしたが、帰りはバス通学が認められていましたので、毎朝回数券一枚を母にもらってバスで帰ってました。友達いないので、いつも一人でした。
ある日、バス停まで回数券を握りしめて歩いていたはずなのに、バス停についてみたら手の中に何もない!ということがありました。
ものすごくパニックになって私は来た道を探して歩きましたが、何も落ちてない。どうしよう。おうちに帰れない。泣きそうになった私は、バス停横にあった駄菓子屋に恐る恐る入っていきました。
東北から関西へ転校したばかりでまだ言葉もしゃべれない中、必死で状況を涙目で訴えました。駄菓子屋のおばちゃんはちゃんと聞いてくれて、「それは大変やねえ、ちょっと待ってて」と言って、小銭を渡してくれました。「これでバス乗って帰り。また明日にでもバス代返してくれたらいいから。」
私が心の底から感動してうれしい思いになったのは言うまでもありません。あまりしゃべれない子だったので、ちゃんとお礼を言えたのかどうか定かではないけど、とにかく心の底からウキウキわくわくしてバスで無事に家につき、母に事の経緯をたぶん喜び勇んで話しました。あまり笑わない子でしたが、そのときは興奮して笑顔だったかもしれません。
でも信じられないことに、返ってきたのは母の怒鳴り声でした。
「なんでそんなことしたの!恥ずかしい。人にお金を借りるなんて、しかも知らない人に!毎朝山を下って学校に行ってるんだから、バスの回数券自分のせいで失くしたなら、その道を上ってくればいいだけでしょ!」
はっ!
としたのは確かです。そんなこと、思いつきもしなかったのが小3の私の頭です。朝は徒歩、帰りはバスと思い込んでいたので、帰りの徒歩、は本当に全く思いつきませんでした。
でも・・・・・
今、アクシスで「子どもに正論伝えすぎないで」と強く訴える私の原点がここにあるのだなあ、と気づきました。
ずっと忘れてた記憶が「人生で失くした傘2本」の話を聴いてからずるずる鎖で引っ張られるように思い出されました。
そして今の私はその時もらえなかった言葉を昔の私にあげます。
偉かったね。勇気を出して言葉をかけたおかげでいい人に出会えて本当に良かったね。
バス代貸してくれたおばちゃんに感謝して、明日一緒にバス代返しがてらお礼に行こうね。
何をお礼にもっていく?パン焼いて持っていこうか。
成田 奈緒子