関心領域
2024.06.03
皆さんこんにちは。成田です。
先日「関心領域」という映画を観ました。
原題 Zone of Interest
私の中では人生1,2位に入るくらいの映画、と思いました。
ただの映画、つまりストーリーテリングではなく、観ているこちらにぐいぐいと突きつけられる気持ちになります。
何を?「お前も、だよね」を。
そうなんです。自分の本性を暴かれ続けている気になってしまって、とっても怖いんです。だから、終始怖い怖いとつぶやきながら観ていました。私が思ってた今までの「映画」を飛び越えた気がしました。
詳細は皆さん、実際に観ていただくかググっていただくかするとして。
このタイトル、素晴らしいです。
人間の本性をいかんなく表しています。
人間って、「見たいものしか見ない」し「聞きたいことしか聞かない」ことができる動物なんですね。
例えば友達とレストランで美味しい食事をいただきながらおしゃべりに夢中になっていたとしても、ふとそこにお気に入りの曲が流れてくると、相当ざわついている環境でも、さらには友達との話が佳境に入っていても聞き分けることができる。
でも一方で、全く興味がないことは「聞いているのに聞いてない」「見ているのに見てない」という現象が起きます。
アクシスで親御さんの話を聞いていると、この現象、結構親子間や夫婦間で頻発している気がします。
だからあとで「言ったじゃない!」「なんで言うとおりにしないの!」「なんで忘れていくの?」などのトラブルが起きる。
その最たるものが、映画「関心領域」の主人公妻なのだなと思います。
自分の関心領域においてはパーフェクトな妻そして母だけど、それは「聞かない」「見ない」世界においてのみ。
外界と繋がる夫や、遠くから客としてやってきた妻の母からすると「なんで聞こえない?」「なんで見えない?」なのだけれど、もはやそのことを告げて争う気にもならないから、皆、何も言わずに遠ざかっていく。
メタファーとして、いろんな学びになります。
舞台は第二次世界大戦下のドイツですが、これって今の日本の、多くの家庭でも、多くの個人でも、同じ現象が起こっている気がします。
SNSなどの出現によってますます「関心領域」が狭められて、「見たいもの、聞きたいものの情報のみが流れてくる」世界に身を置いている人が多数を占めているのではないかと思うのです。もちろん孤独な育児環境にある親御さんにとってのSNSは救いである面もあるのでしょうが、私はやはり、「すべてを均等に目に入れ、耳に入れる」姿勢を大人が意識的に保つことが大事な気がします。
だから私は、紙媒体の本やCDを並べて置いている実店舗をどうしても大切にします。
別にお目当ての本ではなかったけど、平積みの表紙が目を引いて手に取って出会う本を大切にしたいです。
スマホが「あなたのお気に入りだと思います」と選んで挙げてくる曲にはあえて反旗を翻して、聴いたことない音楽をジャケ買い(今でもあるのかこの言葉?)したい。
そこから入ってくる「今まではちゃんと見えてなかった・聞こえてなかった」情報も自分に取り入れた上で、初めて他を批判したり好きなジャンルを決めたりできるのだと思います。
とはいえ、まだまだこの年になってもフラットになんでも見聞きする、というスタンスにはどうしてもなり切れないのが人間稼業の悲しいところ。それがこの映画でぐいぐい暴かれたのがとても怖かったです。
ちなみに、私の友人にこの「関心領域」を勧めたところ、「私はアウシュビッツの映画は観ない」と断られました。
これがその、「関心領域」ということなんだろうな、と思いました。
成田 奈緒子
先日「関心領域」という映画を観ました。
原題 Zone of Interest
私の中では人生1,2位に入るくらいの映画、と思いました。
ただの映画、つまりストーリーテリングではなく、観ているこちらにぐいぐいと突きつけられる気持ちになります。
何を?「お前も、だよね」を。
そうなんです。自分の本性を暴かれ続けている気になってしまって、とっても怖いんです。だから、終始怖い怖いとつぶやきながら観ていました。私が思ってた今までの「映画」を飛び越えた気がしました。
詳細は皆さん、実際に観ていただくかググっていただくかするとして。
このタイトル、素晴らしいです。
人間の本性をいかんなく表しています。
人間って、「見たいものしか見ない」し「聞きたいことしか聞かない」ことができる動物なんですね。
例えば友達とレストランで美味しい食事をいただきながらおしゃべりに夢中になっていたとしても、ふとそこにお気に入りの曲が流れてくると、相当ざわついている環境でも、さらには友達との話が佳境に入っていても聞き分けることができる。
でも一方で、全く興味がないことは「聞いているのに聞いてない」「見ているのに見てない」という現象が起きます。
アクシスで親御さんの話を聞いていると、この現象、結構親子間や夫婦間で頻発している気がします。
だからあとで「言ったじゃない!」「なんで言うとおりにしないの!」「なんで忘れていくの?」などのトラブルが起きる。
その最たるものが、映画「関心領域」の主人公妻なのだなと思います。
自分の関心領域においてはパーフェクトな妻そして母だけど、それは「聞かない」「見ない」世界においてのみ。
外界と繋がる夫や、遠くから客としてやってきた妻の母からすると「なんで聞こえない?」「なんで見えない?」なのだけれど、もはやそのことを告げて争う気にもならないから、皆、何も言わずに遠ざかっていく。
メタファーとして、いろんな学びになります。
舞台は第二次世界大戦下のドイツですが、これって今の日本の、多くの家庭でも、多くの個人でも、同じ現象が起こっている気がします。
SNSなどの出現によってますます「関心領域」が狭められて、「見たいもの、聞きたいものの情報のみが流れてくる」世界に身を置いている人が多数を占めているのではないかと思うのです。もちろん孤独な育児環境にある親御さんにとってのSNSは救いである面もあるのでしょうが、私はやはり、「すべてを均等に目に入れ、耳に入れる」姿勢を大人が意識的に保つことが大事な気がします。
だから私は、紙媒体の本やCDを並べて置いている実店舗をどうしても大切にします。
別にお目当ての本ではなかったけど、平積みの表紙が目を引いて手に取って出会う本を大切にしたいです。
スマホが「あなたのお気に入りだと思います」と選んで挙げてくる曲にはあえて反旗を翻して、聴いたことない音楽をジャケ買い(今でもあるのかこの言葉?)したい。
そこから入ってくる「今まではちゃんと見えてなかった・聞こえてなかった」情報も自分に取り入れた上で、初めて他を批判したり好きなジャンルを決めたりできるのだと思います。
とはいえ、まだまだこの年になってもフラットになんでも見聞きする、というスタンスにはどうしてもなり切れないのが人間稼業の悲しいところ。それがこの映画でぐいぐい暴かれたのがとても怖かったです。
ちなみに、私の友人にこの「関心領域」を勧めたところ、「私はアウシュビッツの映画は観ない」と断られました。
これがその、「関心領域」ということなんだろうな、と思いました。
成田 奈緒子