第8回「誤解されやすい行動をしてしまう」
ものに関する刺激の入り方が人に関する刺激の入り方より強くなってしまう性質をもっている人の場合には、たとえば、友達が新しく買ってもらったゲームの機械を見せてくれたときに、ゲーム機の存在(入る刺激①)の方が、圧倒的に友達の嬉しそうな表情(入る刺激②)よりも強く脳に入ってしまうため、脳は「(ゲーム機が)欲しい!」という指令を出して「それを貸して!!」と言う(出る刺激)ことはすぐに思いつくのですが、それを手に入れて喜んでいる友達に、「良かったね、買ってもらえて。いいなあ。」という言葉をかけることはつい忘れてしまうのです。
そういう風に考えると、彼らの生きにくさや起こってしまうトラブルはずっと理解しやすくなります。たとえば、「目は、口ほどに物を言い」ということばがあるように、君たちはお互いの目を見て、その心の底にある感情を読む、ということを無意識に行っていますよね。この場合は、入ってくる刺激が一つだけではないので、これらを全部合わせて脳は総合的な判断を下し、これに基づいて刺激を出してやらなければなりません。
たとえば、「今日放課後野球する?」「う~んどうしよう、宿題たくさんあるからなあ」。こんな会話のときにも、君たちは、言葉を聞く(入る刺激①)と同時に友達の目をみて(入る刺激②)、脳がそれらを総合して判断し「そうか、今日はつまり、本当は野球をしたくないんだな」と思います(出る刺激)。でも、②の刺激が①より少ない人の場合には、入る刺激①のみで脳が判断を下してしまいがちです。そのため、「じゃあ、宿題を急いで終わらせて、必ず野球をしに来いよ。」などと言ってしまいます。それで、「わからないやつだなあ」と思われてしまうのです。
学校での勉強でも、脳の働きの違いは困難さを生んでしまします。
たとえば文字を正確に読み取ったり、それを書き写すのがとても苦手な場合があります。
これは、目から文字を見たときに(入る刺激)、その形が何をあらわすものであるかを脳で判断し、さらに、これまでに習った知識を取り出してあてはめることによって、単語や文章の意味を理解する、あるいはそれを書き取る(出る刺激)ことへつなぐという脳の働き、つまり指令に苦手さがある、ということです。見た文字を書くと鏡文字になったり、順番が変わってしまったり(「さくら」を「くらさ」と読んでしまう、隣の行の言葉を間違えて読んでしまう、など)という間違いがなかなか直せないのはこのためなのです。
そういう風に考えると、彼らの生きにくさや起こってしまうトラブルはずっと理解しやすくなります。たとえば、「目は、口ほどに物を言い」ということばがあるように、君たちはお互いの目を見て、その心の底にある感情を読む、ということを無意識に行っていますよね。この場合は、入ってくる刺激が一つだけではないので、これらを全部合わせて脳は総合的な判断を下し、これに基づいて刺激を出してやらなければなりません。
たとえば、「今日放課後野球する?」「う~んどうしよう、宿題たくさんあるからなあ」。こんな会話のときにも、君たちは、言葉を聞く(入る刺激①)と同時に友達の目をみて(入る刺激②)、脳がそれらを総合して判断し「そうか、今日はつまり、本当は野球をしたくないんだな」と思います(出る刺激)。でも、②の刺激が①より少ない人の場合には、入る刺激①のみで脳が判断を下してしまいがちです。そのため、「じゃあ、宿題を急いで終わらせて、必ず野球をしに来いよ。」などと言ってしまいます。それで、「わからないやつだなあ」と思われてしまうのです。
学校での勉強でも、脳の働きの違いは困難さを生んでしまします。
たとえば文字を正確に読み取ったり、それを書き写すのがとても苦手な場合があります。
これは、目から文字を見たときに(入る刺激)、その形が何をあらわすものであるかを脳で判断し、さらに、これまでに習った知識を取り出してあてはめることによって、単語や文章の意味を理解する、あるいはそれを書き取る(出る刺激)ことへつなぐという脳の働き、つまり指令に苦手さがある、ということです。見た文字を書くと鏡文字になったり、順番が変わってしまったり(「さくら」を「くらさ」と読んでしまう、隣の行の言葉を間違えて読んでしまう、など)という間違いがなかなか直せないのはこのためなのです。